60年後、今際の際で「人生最低の時期は?」と聞かれたら、迷わず今だと答えると思う。そう思えるくらいには、今の人生は客観的に見て沈んでいる
やることなすこと全てうまくいかず、ただ心を削るばかりの生活
卒業研究は己の怠惰と不運で進まず、就活はうまくいかなかったことをきっかけに更にうまく進まず、親には迷惑をかけるばかり
気を使っては知らずか、子供は親に迷惑かけるもんだと言ってはくれるが、自分に想像できない痛みは自分が受ける傷よりも常に大きい
上記全てが自分が原因で発生した不利益であり、はたから見れば当然の結果だと思う
言い訳は何もない。いつからこうなったんだろうと思い返すと、恐らく去年(就活に使うために)製作した提出課題やその楽曲がダメになってしまったことがきっかけだと思う。あの時期から一日中何もせず、ただぼーっとする日々が続いた
すごくショックを受けて衝動的にやめたわけじゃないけど、ただ自然と時間を使わなくなった。あれでだめなら全部だめだなと感じて、心の底では諦めていたんだと思う
周りの人間は普通の生活が普通にできてすごいと思う
学校行って授業を受けて帰ったり、仕事行って成果を出して帰ることのすごさたるや今の自分には想像できないし、そうなれる気がしない
学校には行っていたはずなんだけど、その感覚もすっかり忘れてしまった
けど、この瞬間が人生で最高の瞬間でもある
人生で一番うまくいってるときは、やることなすこと何もかもがいい結果を生む
今までの私の人生はそこまではいかなくとも、今の最低な状態からしてみれば、相対的にうまくいってるいい人生だったと言える
けど、それに気付けるのは今が最低な状態だからであって、当時の自分は人生最高の瞬間を最高だと認識していなかったと思う
やるべき勉強や提出物を難なくこなし、3食ご飯を食べて、風呂入って歯を磨いて、ずっと楽しみにしていたゲームの新作をプレイして感動して泣いているあの瞬間が人生最高だということにまるで気付けない
人生最高の瞬間は人生最低の瞬間だということを、身をもって経験している
その幸福に気づけないし、もしかしたらこれ以上の不幸がこの先何かが起こって、何もなしていない今の状態ですらまだ幸福に感じることがあるかもしれない
そんなのは嫌だ、怖すぎる
けど、今はその最高の瞬間に気づけているし、またあんな生活を送りたいと思ってる
つまり、逆説的に今は最高の状態だ
この知識も、ゲームから授かったものだ
最高は最低で、最低は最高。今が一番生きてる時
もちろんそんなこと微塵も共感できないし、さっさと人生思い通りにいってほしいと思っているけど、私は自分の知識や考えよりも自分が好きなゲームや本の知識の方が信用できるから、納得できないけど理解はしている
本当に苦しい。その苦しさを排除するために行動することもまた苦しい
どうしてこうなったと思わざるを得ないが、全ては自分が招いた結果だと理解してまた苦しむ
その苦しさが泥のように心にまとわりついて動けなくなる。もう理屈ではどうしようもない精神状態にある。この文章を書こうと思ったのも、一瞬の行動認知療法にすぎない
しかし同時に嬉しくもある
自分の文章を見直すとまるで重篤な鬱病患者のようにみえるけど、面白い動画を見れば笑えるし、食事は1日1回か2回はとっているし、定期的に部屋の掃除もできている
だから、俯瞰するとそんな精神病者っぽくはないと思う。まだ大丈夫
嬉しく感じている理由は、天才の通り道を今まさに自分が通っていると気づいたからだ
音楽の天才の作り方は、大きく分けて2通りあると私は考えている
1つ目は先天的なもので、子供の時に過ごした環境や遺伝子が大きく関係する
子どもの時から自然と作曲や演奏ができる環境があったり、親が楽器を弾いていたり、ピアノなどの楽器を幼少期に習っていたり、単純に優秀な遺伝子を受け継いでいる人がこれにあたる
優秀な遺伝子を受け継いだ人というのは、親がエリートだったり勉強がすこぶるできたり、とにかく世間一般が想像する上級国民的な人たちのことだ
実際の人間で言うと、田淵智也さん、神前暁さん、菅野よう子さん、前山田健一さん、田中秀和さん、nbunaさんのような天才たち
2つ目は後天的なもので、人生で受けた大きなショックやブレイクポイントをきっかけに音楽に目覚めてがむしゃらに作曲してきた人たち
実際の人間で言うと、Tomh@ckさん、大石昌義さん、堀江晶太さん、Ayaseさん、banvoxさんのような天才たち
僕に先天的な才能がないというのは明白だったので、どうにかして後天的かつ自発的に才能が欲しかったけど、この「大きなショック」を今受けているのかもしれない
「大きなショック」というのは主観的なものなので、自業自得であるとか、自分からしたら大したことがないとか、そういったことは一切関係ない。唯一関係あるのは、心をどれだけ傷つけられたかということのみだと思っている
「パン屋がつぶれた」でも、本当に好きで通い詰めていたら大きなショックだけど、他人からすれば別の店行けばいいじゃん、という具合になる
そう考えると「やることなすこと全てうまくいかない」は「大きなショック」足り得る
とはいえ、先天的な天才でさえ面接で面と向かって「君はセンスがないから作曲をやめた方がいい」と言われていたり、安アパートに住んでバイトしながら製作し続けていたり、大学の先輩に作っている音楽を馬鹿にされたりして悔しい思いをしているし、その情報が世に出て私が知れるくらいにはご本人たちもショックを受けているということになるので、やはり本気になるということは自分を傷つけることと同義なのかもしれない
だから、今自分のこの傷を天才への供物にするために今はどれだけ苦しくても生きて音楽を作り、勿論現実の問題も解決しようと試みて苦しまなければいけないと思う
今の自分の考えをまとめる場所があって良かった
こういう時期が自分にもあって良かった、と一番苦しい時期に思えてよかった
全ては尊敬すべき天才作曲家になるために
命の価値と作品の価値を天秤にかけるのが創作であると偉い人は言った
今まさに、作品の価値が私の人生を傾けている
未来の自分がどうなっているのか想像したくないけど、どうか許してほしい
もう自分を許してくれる人間は世の中に自分しかいない