実家のカレー

 

今日、実家のカレーを食べて、あまりのおいしさに泣いた

 

 

大げさな誇張表現というわけではなく、文字通り泣いた

 

自分でもなんで泣いたのかわからなかった。一人暮らしするまでは普通に食べていたし、容器や味付けが変わっていることもなかった。けれどその味は味蕾から顎を突き刺すように体に伝わって、最後に眼から流れ出た

 

親にばれないように、下をうつむきながら、汗を拭くふりをしながらティッシュで涙を拭った。甘いカレーを、あたかも辛いかのように振舞った。その後で、なんでこんなにおいしいのか考えた。間違いなく味は同じ。食べる場所も同じ。とすると答えは、私の内面にあるに違いなかった

 

 

 

もしかしたら、自分はひどい生活をしていたのかもしれないなと、この時気づいた

 

そもそも、最近しっかりと味を意識して食事することなんてほとんどなかった。最初は料理したり色んなものを買い食いしていて、その目新しさにいちいち感想を持ったけど、その刺激には慣れてしまった。食事への興味は人一倍に薄かったので当然の結果だと思う。食事をとっているといるよりは、栄養を補給しているというほうが適切だった

 

そんな食生活が続いただけに衝撃を受けた。スマホもモニターも見ないでカレーに眼を見張り、もはや夢中だった

 

コストの面で見ても大抵実家のカレーのほうが安いし、専門店ほどこだわってもいない

けれどこの瞬間は間違いなく、世界で一番おいしいカレーだと思った

 

実家の味というのは本当に不思議だ

 

 

 

正直、もう実家に帰るのが怖かった。勉強ができない自分を、志のわりに能力が見合ってないわがままな自分を、両親がどう評価してるのかわからなかった

 

間違いなく迷惑をかけてるし、ここ最近の自分の不甲斐なさは笑えない。帰りの飛行機に遅刻さえしかけた

 

けれど、そういう自分を普通に迎え入れてくれたことによる安心感と、昔から馴染んでいた環境と、体にたまった疲労と空腹こそが、この状態を生み出したのかもしれない

実家に帰って食べる料理の、この安心感があるかどうかに、20年飽きない味なのか3年で飽きる味なのかの違いがあるのかもしれない、と思う

 

 

 

 

 

 

人間は記憶の連続性によって人格を形成するとゲームで学んだ

 

なるほど確かに、過去から現在を挟んで未来まで、どこかだけを切り取ってその人の人格を語ることはできない。そうなった原因が過去にあって今を作り、その今の積み重ねが未来を創る。記憶こそが、その人を形作る

 

しかし、人は簡単に記憶を忘れる

 

幸せな瞬間を、つらい記憶を、実家のカレーのおいしさを忘れたりする

 

つまり、日記をつけてその時の感情や心境を、なんとか自分の言葉を使って記録しておき定期的に思い出すことには、その人を、ひいてはその人生の強度を強く保ち続けるカギになるはずだ

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作曲し始めた当時の自分は、相当感動していたんだ

だから真っ先にこの感情を忘れたくないと思って、日記を書いた

そのはずだ